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専修紹介

学生の声

高校の古典だけでは足りない!歌枕の近くでもっと学びたい!これは私が国文学専修を選んだ理由です。ひとくちに国文学専修といっても、万葉集や源氏物語など上代~中古の作品を深く読み解く先生から、近現代の文豪を研究されている先生までいらっしゃいます。専門とされている時代はバラバラです。迷っているなら、まずは自分が興味のある分野を分析してみてください。先生方の熱のこもった授業を受けているうちに、ふと気づけば新しいジャンルに夢中かもしれませんね。私自身、大学で勉強するまでは、魅力的に感じていなかった作品に興味を持ち始めています。一歩足を踏み入れてみないと何が起きるか分からないのです。私の友人には読み書きが好きで国文学専修を選んだという人もいれば、友達に誘われたからという人もいます。きっかけは人それぞれですし、興味のある分野も異なります。だからこそ、私は、国語国文学専修は自分だけの「面白い」を見つけられる場所だと考えています。私たちと一緒にまだ見ぬ文学の世界へ飛び込んでみませんか?

井上優(2019年度入学・国文学コース)
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私は国文学を学ぶ中で、一つの事柄でも捉え方には個性があり、自分一人の思考力では見つけられない視点があることを身をもって知りました。
私が所属している近代文学のゼミでは、自分で選択した作品について調べたことや自身の解釈といったものを発表し、他のゼミ生と質疑応答などを通じて議論をします。そこでは、充分やり尽くしたと思っていた研究の盲点に気付かされたり、思いもよらない観点や疑問に出会うことが沢山あります。それらに触発され、新たな着想を得ることもありました。
文学には明快な正解は殆ど存在しません。社会と同様に考える人の数だけ疑問や解釈が存在します。
そして、自身とは異なる主張に触れながら思考し、議論をするという経験は大学以外での他者とのコミュニケーションの場でも大いに役立ちます。
文学研究は決して孤独なものではありません。新入生の皆さんにもこうした他者との意見交換による発見や学問と社会の繋がりを国文学を通して経験して欲しいと思います。

加藤綾(2019年度入学・国文学コース)
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みなさんは国語学とは何か知っていますか。多くの人は普段何気なく、当たり前のように日本語を話しているので、日本語について深く考えたという経験は少ないかもしれません。しかし、実は日本語について考えることはとても奥が深いのです。そして、そんな日本語を研究するのが国語学です。例えば、ら抜き言葉はなぜ生まれたのだろう。昔の日本人はどのような日本語を話していたのだろう。日本には、どのような方言があるのだろう……。少し考えただけで、興味深い謎がたくさん思い浮かびます。国語学コースではこのようなことを、実際にアンケートを取って調査したり、辞書や文献を調べたりして研究しています。
日本語に興味のある方は、ぜひ国語学コースにいらしてください。また、日本語教師を目指す人や、国語科の教員免許の取得を目指している人もいます。国語学コースではより深く日本語のことを学べるので、これらの職業に就きたい人、資格を取得したい人にもおすすめです。

坪井菜央(2019年度入学・国語学コース)
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皆さんは文学について誰かと話すことが好きですか。もし好きならば、国文学コースに来て下さい。ここには文学を愛する人たちが所属しています。その文学は奈良時代(『万葉集』が記された時代)から現代にわたります。

その中で私は中世文学を専攻しました。中世文学とは例えば『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』です。これらは高校の古文の教科書にも採用されていると思います。ここで、「大学の古文も高校の古文と同じでは?」と考える人もいると思いますが、大学の古文学習は高校と異なります。その違いとは答えの場所です。高校の古文の読解問題ではたいてい、答えは本文の中にあったと思います。しかし、大学の古文では、答えは本文の中にあるとは限りません。他の知識を用いて初めて答えが見つかることもあります。

まだ私自身も研究テーマについて考えていないのですが、研究していて楽しい!居心地が良い!と感じるものを見つけたいと思っています。みなさんも、自分にとって居心地の良い場所を、国語国文学専修で見つけて見ませんか。

藤原稜平(2017年度入学・国文学コース)
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私は「本が好き」という単純な理由で国文学コースを選びました。

文学部では、一年次に専修の入門演習ができる「知へのパスポート」という授業を取ります。私が取った授業は、作品を自分なりに解釈して発表するという内容でした。それまで、ただ本を読んで内容を頭に入れるということしかしていなかった私は、「浅い読み方」しかしていなかったということを痛感しました。文章の意図を自分で考えることや、意見を違えながらも友だちと議論することは難しいです。しかし、今まで考えもしなかったことを改めて考えてみることや、自分では考えつかなかったことが共有できるということは面白く感じました。

文学を学ぶことによって、考える力を養ったり、新しい発見をしたりすることができると思います。私は、それによって自分の考え方が少し変わったように感じます。国文学は本を読むというイメージがあると思いますが、それだけではないということを知っていただければ幸いです。

菊川美優(2017年度入学・国文学コース)
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みなさんは言葉を拾ったことがありますか?冒頭から何を言い出すのかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、国語学の学びの真骨頂はここにあります。

私は地方から大阪に来たのですが、方言の違いに驚かされました。もちろん、関西弁の存在は知っていました。しかし、ここまで表現が異なるとは思っていませんでした。私は、この違いをとても興味深いと感じました。そして、言葉の奥深さについて調べたいと思い、国語学コースに進むことを決めました。

現在、私は関西方言の否定表現について研究しています。言葉は日々移り変わっています。ある表現がいつ頃から使われ始めたのか、またどのように広がっていったのか、このようなことを調べるのは、海の中から1つの貝を拾うような地道な作業です。しかし、自分が調べようと思えばどのようにでも学びを深めることができ、自分の言語表現や言葉の変遷と対話することができる、この作業をしている時間はとても充実しています。

みなさんも国語学コースで言葉を拾ってみませんか?

櫻井奏(2017年度入学・国語学コース)
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恥ずかしながら私は、大学生になって初めて“文学”とカテゴライズされているものを読みました。それまでは、一般小説と違い、少し敷居が高いと思い込んでいましたが、江戸時代に創られたある作品の原文と現代語訳を読んだ時にその印象は崩れ去りました。「大仰に見える表現だけど、現代語に訳されるとなんだかかわいい」と思ってしまったからです。また、小説や漫画、映画やドラマでよく目にするストーリー展開も、その原点は古典文学にあったことを知り、日本人がおもしろいと感じるツボは今も昔も同じであるということにはある種の感動すら覚えました。
作品を過去への足掛かりにすることで、時間の壁を飛び越えて遠い昔の人々を等身大に感じることができる、国語国文学専修に所属する醍醐味はそれであると私は考えます。
文学という“タイムマシン”に乗って、あなたはどこへ行きますか。

萩原麻琴(2015年度入学・国文学コース)
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私は坂口安吾の「堕落論」を読み強烈な衝撃を受けました。それから私は安吾に一気に惹かれ彼の作品をもっと読み、知りたいと思い次々に読んでいきました。読み進める中で、別々の独立した作品であるのに似たようなモチーフ、描写が共通して用いられている事に気がつきました。そして作者が何を念頭に置きあらゆる作品を描いたのか、坂口安吾の作品における特徴などを自分なりに考えるようになりました。坂口安吾以外の作品を読んでも、作者の思想の他、登場人物の作中での役目、この記述が何を表しているのか…などと細かい疑問点が生じるようになってきました。これらの疑問を調べ自身による解釈や考察を付すと、新たな作品の読みが発見できます。この時感じる喜びは至上のものであり言葉で表現しきれません。今ではあらゆる作家の作品を積極的に読みあらゆる物事にも関心を持つように心がけています。そうして自身の見識を広げこれからの文学研究への糧にしようと思います。

大関紀子(2015年度入学・国文学コース)
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私は国語学コースで「全然」という副詞について調査・研究しています。この言葉はもともと「すっかり、全部」という1つの意味しか持っていませんでしたが、現在では様々な意味を持つようになっています。例えば、「全然違うよ。」「そんなの全然普通だよ。」と言う時の「全然」はもともとの意味とは少し異なった意味を持っています。このように、言葉は年月を重ねるにつれて変化するものです。この変化は意味だけでなく、発音や文法にも表れることがあります。こういった言葉の変化や意味の微妙な違いを分析することは国語学の大きな魅力の1つだと思います。
大学で学ぶ国語学は実に多様です。古代語や現代語、方言、文字、世代差など様々な観点から日本語を研究することができます。また、普段の会話などで気になった日本語をそのまま研究対象にすることもできます。自分の身の回りの日本語について少し考えてみることで、自分なりの日本語の面白さを発見することができると思います。

池田尋斗(2015年度入学・国語学コース)
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私は、1、2年次に中古文学の授業を受けて興味が湧いたので、3年次ではより専門的に中古文学を学びたいと考えています。
古典作品を読んでいくと、表現を一つとってみても注釈書により様々な解釈があることが分かります。その様々な解釈を見比べ、なぜ解釈の仕方に相違があるのかを考えながら自分なりの見解を作り上げていきます。中古文学を学んでいて最も驚いたことは、短い表現でさえ解釈するためには幅広い知識が必要であるということです。ただ現代語訳を読んだだけでは大抵はさっぱり理解できません。だから、普段から疑問を持って物事に接し、文学以外の知識も身に着けておくと大きな助けになります。古典作品を実際に手に取る機会は少ないと思いますが、ぜひ一度読んでみてください。面白い発見が山ほどあって楽しいですよ。
作品を学ぶことで、意外な発見ができたり、人生のヒントとなるような言葉と出会えたりします。少しでも興味のある方、一緒に国文学を学びませんか?

三代地春菜(2013年度入学・国文学コース)
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私は幼いころから、自分が読んでいる作品が何を意図しているのかということを納得がいくまで考えることが好きでした。大学で国文学を専門的に学ぶことが長年の夢だったので、実現したことをとても嬉しく思っています。
作品の中の言葉に注目し、調査をもとに色々な視点から考察した結果、作品の持つ新たな魅力に気づいたときの気持ちよさは格別なものです。さらに大学の授業では、先生方や専修の仲間たちから質問や意見をもらうことが、新しい発見につながります。作品における発見は、私の在り方にも影響を与えてくれて、世界を見る目を変えてくれます。これこそ、私のしたかった学びだと感じています。
自由である反面、自分で決断する力が必要な時代だと思います。社会に出る前に、今はたくさん迷って、思い切り可能性を広げて、何事にもきちんと理由を見つけながら選択していくことが大切だと思います。それは文学研究のプロセスと同じです。いつか大事な決断に迫られたとき、それがどんな内容であっても、きっと文学を通して学んだことが支えになると思っています。

板野楓(2013年度入学・国文学コース)
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私は国語学コースで敬語表現について学んでいます。同じように敬意を表すのにも日本語には様々な表現があります。例えば誰かに「朝食を食べるか」と尋ねるときを想像してください。高校の校長先生に対して尋ねるとき何と言うでしょうか?「朝食を召し上がりますか」と言うかもしれません。では親しい先生や、部活の先輩になったときにはどうでしょう?「食べられますか」「食べはりますか」「食べますか」こちらの方がしっくりくる人もいるのではないでしょうか。その中から今一番適切だと思われるものを選択しているのです。なぜ使い分けたのか、そこには必ず理由があるはずですが、考える機会はそうないと思います。
国語学を学ぶことは、自分を見つめ直すことにも繋がっているように感じています。私が考えることも、思うことも、すべては日本語でできているからです。大学で学ぶ国語は大変自由です。自分の気になった日本語が研究対象になり得ます。日々アンテナを張りめぐらせて、自分の「面白い」を見つけてください。

二川桜子(2013年度入学・国語学コース)
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国文学コース、中世文学ゼミでは、古典文学・文化を知るとともに、それを現代に活かせる形で学んでいます。最近では、『源氏物語』の「宇治十帖」を踏まえた焼き菓子を考えました。これはコンテストに出すために作ったものですが、古典文学を学ぶ私たちだからこそ、それを最大限に活かした作品になりました。古典作品を含め、国文学を学ぶことは、ただ作品研究をするだけではないのだということを、是非皆さんに知って頂きたいです。国文学を学ぶことは、昔の日本を学ぶこと、そして現代日本を考えることだと思います。興味のある方、是非私達と国文学の世界に足を踏み入れてみませんか?

杉江真衣(2010年度入学・国文学コース)
西村紋佳(2010年度入学・国文学コース)
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国文学コースでは、三年次に卒論を見定める辺りから、上代・中古、中世、近世、近現代と専門が分かれます。一、二年次では様々な分野を幅広く学ぶことができます。
私は二年次に、近代文学を読みディスカッションするゼミと、江戸時代の怪談について研究するゼミを選択しました。幅広く学んでみると、自分が視野にいれていなかった分野の面白さを知ることができました。自分は何を学びたいか分からないという人でも、きっと自分の学びたいことが見つかると思います。
一、二年次で文学について幅広く学んだ結果、私は近代文学を専門的に学びたいと思うようになりました。授業の中では、仲間が題材となる小説について熱く意見を出し合い、語り合っています。自分が考えてもみなかったような物語の解釈が出てきて、作品の違った意味を知り、より文学の面白さを実感する日々です。
自分の専門を決めること焦る必要は全くないので、一回生のみなさんは文学に幅広く触れ、是非、文学の楽しさを知ってください。

増田早紀(2011年度入学・国文学コース)
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「調べる、分析する、意見を述べる」。近現代国文学を通して、3つの力が身に付きました。
一つの作品に取りかかるには、まずは図書館で膨大な資料の中から、自分にとって必要なものを探し出します。そして、分析。作品を読み込み、一言一句に注意を払います。「なぜ、空の描写が何度も出てくるのか」。「なぜ」から出発して、資料をもとにしつつ「自分なりの答え」を見つけます。見つけた答えを発表し、議論をする場がゼミです。自分とはまったく違う視点からの意見が出ることもあり、日々新しい発見があります。
一つの物事をとことん突き詰めて「自分なりの答え」を見つけることや、人との議論を通して新しい発見をすること。これらに少しでも面白みを感じるなら、国文学専修がおすすめです。

松尾友喜(2010年度入学・国文学コース)
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私は今、『小野篁歌字尽』という、江戸時代に多く作られた和本を研究しています。小野篁歌字尽とは、昔の、いわゆる漢字ドリルのようなものです。様々な本屋から木版で出版されているので、漢字の書き方などを比較することで、漢字の成り立ちや、当時の人々の漢字に対する意識が見えてくるのは、とても興味深いものです。
これから専門に入るみなさんにアドバイスするなら、日常生活の中で常にアンテナを張っておくことが大切です。たとえば、友達との会話で「あれ?この言葉はどういう使われ方?」と思ったことがあれば、それは立派な研究対象です。また、先生方は授業の中で色々なヒントをくれると思います。そこから自分の学びたいことを発見できる場合もあります。
長いようで短い大学生活です。卒業するときに、「私は大学でこんなことを学びました!」と自信持って言えるように日々の学びの時間を大切にしたいですね。

小原さつき(2010年度入学・国語学コース)