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国文学会を語る

関大国文学会の思い出
関屋俊彦

 「国67-47」、昭和42年ということになるが、今でも覚えている私の学籍番号である。専修内で、とうとう御老公、誤って御老体と呼ばれる身になった。おぼろげになっていく記憶に頼りながら関大国文学会の思い出を呼び起こしたい。
 『国文学』第76号(平成9年)に「関西大学国文学科50年表」があり、それによると大正13(1924)年、専門部文学科が設置され、昭和3(1928)年に国漢文専攻科と英文専攻科に分かれ、昭和25(1950)年1月25日に『関西大学国文学会報』創刊号を発行しているので、そのころには国文学会は定着していたのであろう。吉沢義則・江馬勤・佐伯梅友・藤沢章次郎、卒業生として劇作家の北條秀司の名が目につく。実は能楽金春宗家79世信高も御出身であったと伺っている。私が関大に入って国文学専門の最初の授業の時、平野健次先生が、世の中に「国文学」という名がつく雑誌は三種類あるが、一番歴史があるのは関大の『国文学』であるとおっしゃられていたのが妙に印象的で、うれしかった。多分、国文学会の話をされ、その中心となる全国の大学の紀要は交換雑誌として国文学合同研究室に来ている、国文学会に入るようにとの話くらいは、今と同じようにされたのだと思う。のちに2年間だけだったけれど、武庫川女子大につとめ、国文学会加入率はほぼ100%だったので、年に2度も紀要を出し、学生向けの小冊子も含み込んで、それもカラー印刷になっている潤沢さを見聞するにつけ、関大の方は任意加入なので3割にも満たなくて、年1回しか出せていない。一度、紀要発行の予算が足りないということで専任教員全員がボーナスから1万円ずつ寄付したこともあった。国文学会は会員の浄財で成り立っている。一人でも多くの方が賛同され、会員になってもらいたい。
 国文学会は関大でいえば、紀要の発行と国文学会の開催が二本柱になっている。万葉学会の本部もあったので、万葉旅行など文学散歩も盛んに行なわれていたのを含めると三本柱となるが煩雑になるので、ここでは含めない。70年代は大学闘争が激しい時代であり、授業も中止されることが多かったが、4年生の時、在学生国文学会なるものを立ち上げ、自主的に輪読会を発足させ、それがあちこちでサークル運動となり、発表に向けて合宿までしたことがある。のちに終生の恩師となる伊藤正義先生に発表まで、お願いしたりして、まことに若気の至りで汗顔ものであるが、今、思うと大学の始原的みたいなことまでしていたのであろう。
 振り返ってみると、素晴らしい先生方に習ったものだ。さすがに澤潟久孝・風巻景次郎先生は存知あげないが、卒業の時点で吉永登・木下正俊・神堀忍・清水好子・小島吉雄・岡見正雄・伊藤正義・金子又兵衛・飯田正一・谷澤永一各先生のどこに出しても恥ずかしくない先生方たち。たとえば卒業式の時だが、あれほどの闘争の時代なのにきちんと卒業式を行ない、なんと「あおげば尊し」まで皆で合唱し、涙ぐむ先生もいらっしゃった。素晴らしい先生方に習ったという意識は学生の皆にはあったのだろう。「謝恩会」ということばも生きていた時代である。今、教壇に立って、自分はどれだけ追いつけるのかと自省するばかりである。
 『国文学』の特集号だけ拾ってみる(以下、敬称略)。追悼号としては、頴原退蔵(第2号=昭和25年)・風巻景次郎(第29号=昭和35年)・乾裕幸(第81号=平成14年)である。風巻景次郎の名前くらいは関大国文学徒なら知っておいてもらいたい方である。乾先生は私が丁度入退院を繰り返していた頃、現役のままなくなられた。古稀記念号すなわち退職記念は、山脇毅(第27・28号=昭和34・35年)・吉永登(第52号=昭和50年)・木下正俊・佐伯哲夫(第73号=平成7年)・神堀忍(第78号=平成11年)・片桐洋一(第83・84号=平成14年)・吉田永宏(第91号=平成19年)・遠藤邦基(第92号=平成20年)・浦西和彦(第96号=平成24年)で、特別装丁本として関西大学国文学会会刊行図書『国文学論集』も編まれている。記念号にはならなかったが、第67号には中村幸彦・岡見正雄・清水好子・谷澤永一・肥田晧三の略年譜・著書目録があり、足跡を記す形となっている。中村幸彦先生は碩学・人徳共に備えられ、私も大きな影響を受けた稀有な方であったが、記念という名誉は拒まれた方でもあった。新任挨拶のような形で水田紀久先生・青木晃先生も早くから寄稿されている。
 関大国文学会のもうひとつの特色は、年2回研究会が行なわれていることである。新任の先生のお披露目のような講演があり、大学院生を中心とした報告も行なわれている。長く非常勤をつとめられた鶴崎裕雄先生の話もここで伺えた。更に最終授業を中心に広く国文学会会員に呼び掛け、勿論、パーティーも開かれるので、こちらは大同窓会の体を為している。百周年記念会館の学内設備等はいうに及ばず太閤園でも開かれている。記録を紐解くと関大出身で最も著名になった谷澤先生が最も多く、還暦祝い・国文学科創設50周年記念(平成9年)を含めて計4回開かれ、先生の名調子に皆酔ったものだ。片桐先生は赴任されて以来、和歌文学会など積極的に関大で学会を招致され、大きな影響を残された。直近での退職は高木千恵先生(平成23年)・大濱眞幸先生(平成25年)である。なお、紙谷榮治先生が病気療養のため、そのまま平成24年に退かれたのは残念であった。
 印象的だったのは、清水好子先生で平成4年に「源氏物語の音楽」の話をされた。なぜ『源氏物語』が飛び抜けて素晴らしい文学足り得ているか。それは、琴ひとつを奏でる所作にしても作者はその奏法をよく理解して文にしているからだ、私はもっと音楽の勉強をしておけばよかったと締めくくられた。実は、先生は声楽もきちんと習われていたとは、あとから知ったことである。蛇足ながら即興狂言・祝言小謡で最後を締め括って皆様に喜んでいただいているのが私の役目になっているかのようで、嬉しいことである。
 以上、退かれた先生方を中心に個人の記憶の範囲内で述べた訳であるが、今後の関大国文学会を充実させるためにもまだ入会していらっしゃらない方に是非とも入会をお勧めする次第である。